忖度するエリートは学校教育が育ててしまっているのかもしれない〜忖度は批判的思考無き主体性の現れなのか〜

苅谷剛彦先生の言葉が引っかかる自分

自分のブログで紹介した(阿部ゼミの様子】研究を進めよう!〜準拠集団と学問共同体,そして先行研究(苅谷剛彦先生から学ぶ)〜)苅谷剛彦先生の言葉がずっとひっかかっています。


上のブログ記事に載せたYouTube映像の「1:18:14」から終わりまでの映像を見てみてください。

本当に終盤の部分なので,こここから最後まで視聴したとして5分程度です。


「忖度」は主体的な関わり

苅谷剛彦先生は,次のようなことを言われていますね(若干,意訳してます。正しい内容は実際の映像を見てください)。

忖度はね……。 主体的な関わりでしょ。 おもんばかることによって主体的に関わっているということですよね。 全然批判的ではない。 今後どうなりますかね。 「主体的な学び」は忖度の形成なのか,批判的思考力の形成なのか……。

学校教育のことを指していることは確かですが,もう少し深く読み込むと,苅谷先生ご自身は,もしかしたら,「アクティブ・ラーニング」もしくは「主体的・対話的で深い学び」のことを指して言っているのかもしれません。しかし,このお言葉から,わたしはいくつかのことを考えめぐらしています。


一つは、学校教育のさまざまな部分でマニュアル化(学校スタンダードのようなものも入れて考えています)してしまって、それをそのまま受け入れてしまっていることの弊害。

二つは、趣意説明なき指示説明の一般化です。


忖度(批判的思考なき主体的な関わり)するエリートを育ててきたのかもしれない

次のように考えるわたしがいます(くどいですが,苅谷先生はこのような文脈で言ったかどうかはわかりません。ここからはわたしの解釈です)。


「忖度」の代名詞は,官僚であり,いわゆる日本社会のエリートに属する人たちの振る舞いで垣間見られます。

その方々は,学校教育の勝ち組です。

つまりは,「学校教育でよい成績を収めてきた人たち」であり「教師など指導者が期待する反応をいち早く予測し,期待する反応を上回る言動をすることでその集団を走ってきた」と考えられます。


例えば,井上義和(帝京大学)先生と小針誠(青山学院大学)先生は対談「国策アクティブ・ラーニングの何が問題か」(井上義和・牧野智和(編著)『ファシリテーションとは何か−コミュニケーション幻想を越えて』2021,p161,ナカニシヤ出版)で以下のようにやり取りしています。

井上:(前略)かしこい子供は,「どういうやり取りによって授業が進んでいくのか」を察知して自らの振る舞い方を調整するのですね。そういう個なら,たとえ台本がなくても,教師の期待する振る舞いを立派にやってのけるでしょう。 小針:その思考力や判断力は,「忖度力」や「空気を読む力」といった打算的なものになりうる可能性もあるでしょう。そこには教師による評価が介在しているからです。教師の意図,授業の進度,多数派の意見を含めた「空気」を読める生徒は,教室で波風を立てないように振る舞い,教師からも評価される。(後略)

これはすでにアクティブ・ラーニング対応の検定教科書が出てきており,その教科書に教師と子どもたちとの想定問答集が書かれているという下りでのお二人のやり取りです。


VUKAという言葉用いて,答えが用意されていない不透明な社会を生きる私たちと言っておきながら,指導者にとって都合の良い反応(リアクション)を誘導しておいて,その子はとても主体的であるというのは問題だと考えます。


活動への指示や説明にも,ちゃんと意味,意義,価値,目的,理由等を加えよう

先日,しっとりと対話ができる中学生の学級活動の授業を見せてもらいました。

その中で,一つ,今も素敵ですけど,それ以上により良くなるには……として次のようなことを話してきました。


「本日の中心の活動を説明する時に,どのように活動をすすめるのかという進め方だけを子どもたちに伝えました。そして,子どもたちはしっかり聞いて,自分たちで解釈し,素敵な活動をしました。今後,ここにぜひともその活動の意味,意義,価値,目的,理由などを付け加えて話すようにしましょう。今,子どもたちは大変素直で,先生の指示や説明に従って何の疑問も挟まず,先生の言われたことだからということで活動しています。しっかり活動できることはとても素敵なことですが,その前に,なぜ自分たちはこの活動をしているのかということを踏まえて活動しているか否かでは,同じ活動をしているでも内容としては随分違います。」


今,自分がやろうとしていること,やらねばならないこと,を自覚すること,とても大切です。


授業の腕をあげる法則 第一条「趣意説明の原則」

これは,向山洋一(著)「授業の腕をあげる法則」(明治図書,1985)でも第一条「趣意説明の原則」としていることと重なります。向山先生は,「知性の集団」としてとても大切なことであると述べています。


少し,上の井上先生,小針先生とのやりとりとは話の流れがズレたところがあるかもしれません。要は,「このくらいわかって当たり前とかわかってほしい」といった会話的な感覚で接するのではなく,丁寧に対話的に子どもたちと接していきたいということです。



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