最近のわたしにしては,とてもとても珍しい「社会科」の講座を終えました。
たぶん,こんなにも社会科について深く考え,語ることは最初で最後だろうと考えて,好きなように語りたいことを,語りたいように,語らせてもらいました。
わたしのことをあまり知らない方には,「何たる暴言!」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
まぁ,……確かに(笑)。
特に,私個人のことをもとに話を展開していったので,わたしの話の内容が全く頭に入ってこない方もいらっしゃったことでしょう。
とはいいつつも,わたしからのメッセージとして,会場で話さなかった3つのことを書いておきたいと思います。
興味関心の対象の意味や歴史をたどろう
わたしの社会科に対する考え方は異端です(いや,社会科だけでないかもしれないですけど)。もちろん,わざと異端なわけではなくて,私自身,社会科はこちらの方向へ進むべきだろうと熱い思いを持ってあえて異端であることを進んでいます(もちろん,その異端が本道になるのであれば,これほどうれしいことはありませんが)。
で,ここでどうしてわたしの社会科に関する考え方が異端であるかわかるのか,ということです。
それは,ある程度社会科の意味や歴史をたどるという作業をしているからです。わたしの場合は,平成元年に小学校教員になってから,10年後,福島大学の大学院に行き,そこで「社会科実践」だけでなく「社会科の歴史」や「社会科教育研究の今」を学びました。
ちなみに,「学んだ」と書きましたが,大学院の授業で学んだわけではなく,通っている時期に,自分で書籍を読んで学んだということです。
わたしは教員になったときから,「授業づくりネットワーク」「教室ツーウェイ」「社会科教育」「……」など,教育雑誌を10冊定期購読していましたので(これは,当時の教育技術の法則化代表の向山洋一先生の教えが大きいです),「今の教育実践の流れ」はそれなりにわかってはいたものの,根本(根っこ)については学ぶ時間と方法がわからず,「社会科好きな実践者」からの域を出ていませんでした。
今思えば,大学生時代もわたしは「社会科教育専攻」だったので,大学の授業の中で「社会科」に関する意味や歴史を学んできたのではないかと思いますが,当時の自分はそこをしっかり学び取ろうとする意識が低かったのです。
「学びたいときに学びたいことを学ぶ」という当たり前のことですかね。
だから,これを読んでいるあなたは,今,大学生時代のわたしのように,わたしが書いていることに興味を持たないかもしれませんが,ぜひいつか「興味関心の対象の意味や歴史」をまなんでおくことは大切と思います。
で,それはいっときの流行に流されることなく,つまり,古くならず,自分の胸に刻み込まれるからです。そして,これからいろいろと考えていく指針にもなります。
方法以上にあり方を大切にしよう
自分の考え方をまだ確立できていない若い方や,とにかく目の前のことをなんとかしたいと思う方は,方法(Doing)に目がいきがちとは思いますが,(いろんなところで目にすると思いますが)それ以上に,あり方(Being)が大切と思います。
例えば,あなたが今,行おうとしている「ある教育手法」や「教育技術」「教育方法」は多くの場合,ある「教育思想」のもと生まれてきたはずです(もちろん,何の思想も持たずに生み出された技術や方法もあるとは思いますが)。
それを理解した上で,その「教育手法や技術,方法」を用いているかどうかということがとても大切です。もちろん,理解した上でなら,当初生まれた「思想」と「教育手法や技術,方法」をあえてずらしたり,変化を加えたり,応用したりして使っていくことは可能でしょう。アリでしょう。
自分のOS(PCでいうところの,MacOSなのか,Windowsなのか,Linuxなのか……)が何なのか。そのOSが快適に動作するように,言行一致しているか(無理に,自分のOSに適合しない技術等々,つまりアプリを意味する,を用いていないか)をその都度チェックしていくと良いと考えます。
知見をリスペクトしよう
わたしの発表スライドは,(ほとんど)1枚のスライドに1つの文献等の引用をつけていました(明示していました)。
今回のわたしの発表の内容やスタイルが,自分の実践発表ではなく,過去の社会科実践や考え方を紹介したり,変化を加えたりするようなものだったからかもしれません。
これは,わたしにとって当たり前の振る舞いで,その背景には大きく2つあります。
一つは,わたしを育ててくれた「授業づくりネットワーク」という組織のアウトプットのスタイルがもともとそんな感じであったということです。「授業づくりネットワーク」は生まれた当初から研究者と実践者が入り乱れて,混在して,新しいものを生み出していくというスタイルを取っていました。研究者にとって,何かを発信するということは,事実と意見を区別するということでもあるので,ここは「誰々が言っていて」,ここからは「わたしの考えなんだけど」とするわけです。また,「誰々が言っていて」というところを無しにして,自分の意見だけを主張すると,「何の根拠もない熱い思い」とだけ受け止められて次に進みません。
二つは,今の自分が大学に在籍しているということです。もともと「授業づくりネットワーク」にお世話になっていたときから,「これこれによると」ということを付けて話す習慣はついていましたが,大学に在籍するようになって,よけいにその習慣や意識が強くなりました。
知見をもとに,それを組み合わせたり,修正したり,変化したりして新しい知見を生み出していくという行いはとても大切なことですし,どんどんそれをしていかなければなりません。そのときに,大切なのは,もととした,参考にした,知見は何かということをちゃんと明らかにしておくことです。
また,自分が何かを発表したり,主張したりするときに,すでに似たような知見は言われていないかどうか,しっかり調べることです。ここ,とても大切なことと思います。
みなさんの社会科愛がビンビンに伝わってきた……
あっ,やっぱり……と思ったのですが,わたしが社会科のシステムとか方法に依ってたった話をしたのに対し,他の3人は主に社会科の内容について多くの時間を割いていたいたということです。
糸井先生の,地元京都を題材にした,AHA体験といいますか「面白い!」と思ってもらえるような授業づくりや教科書の内容と地域とを結びつけていく授業づくり……。
佐々木先生の,1枚の写真から授業をつくっていく流れ……。
特に,今回の発表者4人の中で唯一,学級を担任して現在進行形として社会科を実践している宗實先生の実践発表は圧巻でした。
あの内容だけで,書籍にできるし,講座としても2時間は簡単に作り込めるのではないでしょうか。すごいなぁ。何としても悔しいのは,現役時代の自分の全ての社会科実践を紐解いてみても,たぶん今回の宗實先生の実践に及ぶものは一つもないということです。
今となっては,どうしようもないことですが,もし叶うのならば,宗實先生のような素晴らしい実践家の教室を訪ねて,授業づくりの考え方とか方法などを私目線で分析し,一般化して他の方々に利用可能な形で提供できたら価値があるだろうなぁと思いました
宗實先生とは住んでいる場所が遠く離れているし,宗實先生ご自身がわたしに分析されるのは嫌うでしょうから無理な話ですけど,わたしの近くでそういうことができる方がいたらおもしろいだろうなぁとふと思いました。
一方で,そこにいる参加者の前で,わたしは宗實先生に失礼なことを語っています。
「今の私は,(宗實先生のような授業を)ぶち壊したいと思っている」
です。
一番のきっかけは,上に熱く書いているからおわかりと思いますが,自分が宗實先生のような実践ができなかったことへの「嫉妬」「妬み」から来ているわけですが(笑),もう一方で,令和の時代,21世紀も半ばに入ろうとしている時代,「従来の授業」とは全く異なる「授業」を考えていかなければならないのではないかと考えているわたしがいます。
それは,「授業」というものではなくて,「学び」なのだろうと思うのです。
「学校」が行ってきた「(従来の)授業」を思い切り変えていかなければならないのではないか,そう思う自分がいます。
まぁ,これに関してはここで書くことが本題ではないので,このあたりでやめておきます。
参加してくださった方から,いろいろとお声をかけていただきました。
ありがとうございました。
京都の祇園で,楽しい時間を過ごすこともできました。
来週の,日本学級経営学会に向けて英気をいただきました。
さて,やるぞ!帰るぞ!
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