2024年7月19日(金),都合がつくゼミ生とともに,日本初のイエナプランスクール「学校法人 茂来学園 大日向小学校・大日向中学校」へ初めて見学に行きました。
(素敵な写真を撮ってもらいました。ありがとうございます。)
訪れた理由と目的
もともと,イエナプラン教育には興味関心がありました。リヒテルズ直子さんが著した本「オランダの個別教育はなぜ成功したのか イエナプラン教育に学ぶ」(平凡社,2006年)などは出版当時に読んでいますし,2011年8月9日に開催された「第7回教室『学び合い』フォーラム2011in東京」では直接,リヒテルズ直子さんのご講演も聞いております。
ですから,イエナプランスクールとして大日向小学校が開校されると聞いた当時から,いつかは訪れてみたいと思っていました。といっても,わたしのような者がフラッと訪れるわけにもいかず,何らかのきっかけが必要です。今年度,「きっかけ」ができました。
上越市の隣に妙高市があります。妙高市は,数年前から「イエナプラン教育」を参照し,各学校にそのエキスを取り入れようとしています(つまり,自校化)。
加えて,このブログで何度か紹介していますが,本学(上越教育大学教職大学院)では,学校支援フィールドワークという名の学校実習において,ゼミごとにチームを組んで連携する学校の目標達成,課題解決に関わる学びを年に150時間行うようになっています。
今年度,阿部ゼミでは,4チーム構成したのですが,そのうち2チームが妙高市の小学校にかかわらせていただくことになりました。もちろん,「イエナプラン教育」にかかわらせていただく良い機会かもしれないと思って私とゼミ生との意図的な動きがもとにあります。
ゆえに,学生たちには,純粋にイエナプラン教育を学びたいとともに,学校実習に活用できる何かを掴んで帰りたいという強烈なモチベーションがあります。
訪れて,改めて確認できたのですが,4人の知り合いが大日向小学校の先生として働いていて,自分自身の人脈という意味でも,わたしは大日向小学校,そして,イエナプラン教育とは距離が近い立ち位置にいたのだと実感しました。
大日向小学校の皆様,ありがとうございました。
感想
諸々の事情から,詳細な分析や感想レポートは省きます。
ざっとした印象を書き残しておきます。
わたしの中から出てきた言葉は「自然だな」でした。
大雑把に大きく2つの面から述べます。
1つは子どもの姿です。
わたしたち大人が,社会が,無理にコントロールとか操作(同じ意味かな?)をしなければ,子どもたちはこのような姿になるのだろうなと思ったということです。(伝わるかな?伝わりにくいだろうなぁ……)
(学校生活を交えない)日常生活の中の学びの姿としてもいいかもしれません。それがたまたま「大日向学校」という器にいるだけということですね。
で,これって言葉や第二次情報(写真,映像等)では伝わらないだろうなぁと「現場に立って」感じました。私自身,民主主義の体現化とか,『学び合い』の実践とか,ファシリテーションを展開するとか,アドラー心理学を教室内で用いるのようなことをしてきたので,わたしなりに,相当,子どもたちの自己選択,自己決定を大切にし,子どもたちをリスペクトし,子どもたちと対等(フラット)にやりとりしようとしてきましたし,そういう学校現場を求めて見学に行くということもしてきました。
が,それらと全く「空気」や「様相」が異なりました。
そこに立たなければわかりませんね。
ぜひ,この場に来てみることをおすすめします。
わたしたちは「子どもたちを学校化させる」ことにいかに腐心しているのかがよくわかりました。
「あなたのため」とか「子どものため」とか言いながらも,「学校のシステムに合わせるため」「学校の都合よくするため」に子どもを指導していることが,大日向小学校という「子どもの自然な姿が前提」を目の前にして実感しました。
2つは先生たちの姿です。
大学内で模擬授業やプレゼンテーションなど,少し多めの人の前で話をする学生のアドバイスとか指導の時に,私は
「声に張りがあって,とてもよかったね。教室内に,ピーンと声が届いて子どもたちにも,話を聞くぞ,活動をがんばるぞといったスイッチを押してくれるような感じになります。」
みたいなフィードバックをするときがあります。
これは,その前後に行う「なよなよ」した声を出してしまう学生への第二次指導というかアドバイスになっているわけです。
「意識を集中させる」「意識を向かせる」「場面転換を図る」「……」など,様々なことを考えても些末ではあるけれども,教師として人前で話す時に大切なことの一つと思っているところがあります。
しかし,これらの考え方も,もしかしたら「子どもたちを学校化させる」ための仕組みのひとつなのかもしれないと思いました。
なぜなら,大日向小学校の先生は(全員そうなのかわかりません。わたしが見た先生だけで,その場面だけかもしれません),「声に張りがありませんでした(笑)」(あっ,ちゃんと文脈を読み取ってくださいね。これ,肯定的に書いていますからね)
日常生活の中に学校が紛れ込んでしまっている大日向小学校で過ごす子どもたちや先生にとって,(わたしが思うに)「張りのある声」で話すことは,「子どもたちを学校化させる」ことであり,ありえない話です。
もちろん,廊下で教師の「〜〜してはいけません!」みたいな大声での指導など一切ありません。
場面場面において,サークル状にて子どもたちの前で教師が話す機会はあるのですが,「張りのある声」「張り上げる声(笑)」は一切ありません。日常会話の声です。話し方も,「先生口調」のようなもの(これ,通じるかなぁ……)も一切ありません。
そうかぁ,そうなんだよなぁと思いました。
この考え方はあたっているか?
学生とのやり取りで,頭に残っていることがあるので書いておきます。
一緒に参加した小島貴之さん(授業づくりネットワークのメンバーでもある)が,以下のことを語っていました。
「非構成的な構成をしている感じですかね」
言われたときは,おもしろいこというなと思っていただけでした。
ただ,この表現が1日経った今も,頭の片隅に残っています。
表現方法がおもしろく,頭に残りやすいからというところもありますが,「うーん,そうなのかな,どうなのかな……」と私自身が思っているからでしょう。
今思うのは,
そうなのかもしれない。
「学校化しようという側」の人間から見るとそう見えるのかもしれない
大日向小学校の先生たちは,根拠をもって全否定するかもしれない(だとしたら,この見解をもとに,実際のところどう考えているのかを伺ってみたい)
実際そうなのかもしれないが,それは結果であり,大日向小学校の先生たちは一切そのように考えていない
まぁ,いろいろと頭の中においておきます。少し頭の中で「ふやかして」おきたいと思います。
8月が楽しみだぁ
実は,
今回,大日向小学校を訪れることができなかったゼミ生のため
本日の学びをより深めるため
8月の後半に,大日向小学校の先生,お二人を本学(上越教育大学)にお招きして学ぶ予定でいます。
今回は,イエナプラン教育そのものを体に染み込ませてくることが目的でした。
8月は,妙高市の学校実習に取り組むにあたってより「使える知識やアイデア」を得るための学びとするつもりです。
いやぁ,楽しみだぁ。
とにかく,私たちを迎え入れてくださった大日向小学校の皆様に感謝いたします。
ぜひともこの学びを生かせるようにいたします。
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