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現場から離れて自分の知識が増えると抽象的な情報提供が増えてきてしまい,現場の先生たちのためになっているかどうか反省する自分〜福島県本宮市校内研修会

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本日(2025年10月10日)は,学習アドバイザーとして関わらせていただいている福島県本宮市の校内研修会に参加してきました。


小学校1年生の道徳の授業を参観し,その後の参加者同士の話し合いを通した事後研究会,最後に,私の講座60分という感じでした。


こうして,1年間のうちに何度も関わらせていただけると,うれしいと共に,話の内容には工夫が求められます。目の前の方々の入れ替わりがないので,前の話の続きをすることができますし,それが求められるわけです。つまり,「深い話」が必要になります。


私にとって,それはとてもとても大きなチャレンジになるわけですね。


なぜなら,全国各地からポツポツと講座講演の話をいただきます。

それは,一期一会という感じで,最初で最後の出会いかもしれないので,私のもっている,または,考えているコンテンツの全体像をみなさんに知ってもらう感じで60分なり,90,120分なりを構成すればよいわけです。

逆に,この入口のところをすっとばして,私が勝手に自分の興味関心の奥にある話を展開しても,前提を共有していないがために,そこにいるみなさんは「はっ?」となってしまいます。


ですから,今回のような機会は貴重です。

私自身,頭の中で考えたり,たま〜に,直接そう言うタイトルの原稿をいただいた時に文章にアウトプットする程度で,しっかりと外化するということはあまりありません。何日も何日も頭で考えたり,マインドマップ的に(私の場合は,フリーボードのような無限メモに放射線状に,いろいろと書き出して自分の頭の中を構成的にしていきます)進めたりしていきます。


今回は,「協同から協働へ」という感じのタイトルをいただきました。

授業や学級経営を子どもたち同士の関係性をもとに進めていくということは,共通理解になり,それを実現するのに,平等とか役割分担をもとにする協同を中心に進めることが多かった。どうやって,自分の得意等を生かした公平をもととする協働にフェーズを移していくか,そのヒントを得たいということでした。


まず,私が強調したのは,「協同」の上達が「協働」ではないということです。

これは,「観(マインドセット)」の違いであると考えます。

原稿や書籍等でも書いていますが,先生たち,そして子どもたちにも,公平公正を「不平等だ(ずるい)」と考える人達がいます。

このあたりの感じ方,考え方をどのように教室空間で変えていくのか,もしくは,共有するのか,このあたりが大切なのではないかと思うのです。


また,「協同」と「協働」に上も下もなく,状況や必要感によっては,どちらも必要になりますし,別のブログ記事に書いていますが,授業であれば,同じ授業の中でも「協同」場面と「協働」場面のどちらも,必要になる場面があります。


ただし,その下にある,いわばOSにあたる場面で,自分はどちらの「マインドセット」で感じて,見て,考えて,行動しているかというところが大切なのではないかと思うのです。


で,こうした諸々のことを,大学にいると仕事の延長として,情報の収集ができます。それを,このときの講座等で情報提供するとなると,自分は研究室にこもって,こういった情報を集めて整理してプレゼンの作成をしてくるわけですが,日々,現場という子どもたちを目の前に仕事をしている先生たちにしたときに,「あれ?現場の要望と私自身の話というか考えが,とてもとても乖離しているのではないか?」などと,講座途中,もしくは講座終了後に思ってしまう私が時々います。


私自身のメタ認知力を鍛えつつ,しっかりと第三者の感想や意見を聞き入れながら,現場との接続を大切にしながら進めていきたいと考える,今日このごろでした。



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