本日(2022年7月5日),水落先生,桐生先生が担当する授業の外部講師として石川晋(授業づくりネットワーク理事長)さんが外部講師としていらっしゃった。
私個人としては,久しぶりに,90分間,石川さんの話を聞いた。
もちろん,大学院の授業ということで,その要望と目的に合わせた形で90分を石川さんは構成したのだろうが,私としては久方ぶりに石川さんの講座を受けているような感覚で,とても懐かしかった。
考えてみれば,石川さんと一緒のときは,だいたい自分も事務局かまたは同じように講師という立場が多く,このように90分じっくり石川さんの話を伺うということは珍しいといえば珍しいのである。もちろん,知り合った初期の頃は石川晋さんという人間がどのような講座をするのか……という興味で一参加者として参加していた頃があった。そこと比較してみている自分がいた。
大きく分けると,
模擬授業(今,自分がどのような考えで授業をしているか)
プチライフヒストリー(どんなことをしてきて,今,どのようなことを日常的に行い,どんなことを考えているのか)
という作りであった。
以下,私目線のわたしのための振り返りである。
模擬授業
本の読み聞かせから始まり,物語文を声に出して読んでいくというプロセスを体験してもらう授業だった。
各所で,石川さんが声に出して本や教材文を「読み聞かせる」場面があるのだが,圧倒された。
野口芳宏先生の講座にも何度かさんかしたことがある。
野口先生も教材文をよく声に出して読まれていたが,通じるものがあった。
そうなのだ(この歳になってやっとかい!と言われそうだが)。
国語授業のプロフェッショナルは,読み聞かせが抜群にうまい(人が多い)。
わたし,今でも講座等で「語る」のではなく「文章を読み上げる(読み聞かせる)」場面を設ける時がある。そこで,ここは自分の声でしっかり聞いてもらいたい(聞かせたい),と思い,自分なりに声を出して読むのだが,どうもうまくできない。
リズム,テンポ,抑揚……。
テクニックを習得した先の自然な読み聞かせがあるのだろうが,あっ,ここだ!と思った。
(実際の模擬授業は,上手に「読み聞かせ」をするということを目標に進めていったものではありません。他の活動,他の視点で進めていました。わたしがこの部分に目がいったということです。)
プチライフヒストリー
中学校教師を辞めてからの石川さん。
付き合いはずっとあったので,断片的に話を聞いていたが,(この時間も断片的ではあったが)ある程度の流れの中で今の石川さんの考えや仕事の様子等を伺うことができた。
印象に残ったことを言葉で表すなら,「カウンセリング」「ファシリテーション」「当事者目線」かな。
いろいろと思うこと,考えることがあるだろうが,若手教師や他者とやりとりするとき,徹底的に当事者目線でやりとりをしようとするところから始める。
当事者が見えているところでやりとりし,自らが気づき,学んで,それらを尽くしきってから,やっとその他,つまり外側のことを見る余裕や力が身につくからであろう。
ちょうど今,わたしが検索していた「対話リフレクション,集団リフレクションの2つの段階」という考え方に重なる。
聞き手としての他者が,授業者の視点で授業をシミュレーション思考で検討する方法(共感・同化の視点)
「1」を前提に,独立した研究者の視点から,健闘を行う方法(異化の視点,自由な視点)
澤本和子:「授業リフレクション研究のすすめ」浅田匡,生田孝至,藤岡完治(編著)『成長する教師』pp212-226,金子書房,1998年
石川さんがこのようなことを考えていたのかいないのかわからないが,自分に引き寄せると,今まさに「ココ!」が自分の興味関心,そして,必要な技術,考え方である。
最後にどうでもいいこと
この授業を参加していた方にしか伝わらないことですが。
ある授業映像を石川さんは提示した後,
「学生たちは◯◯,現役教師は◯◯を見る(注目する,発見する)ことが多い」
とおっしゃった。
わたしは,石川さんの言う「現役教師が見る」であろうところに石川さんが指摘する前に即座に目が行った。
毎日毎日,学校,学級に入り続けている石川さんと違い,すでに現場感覚は失われてしまっているだろうが,「見る目」は(この時に限り)まだ残っていたようで(石川さん視点での話だけどね),ちょっとうれしかった。
でも,わざわざ,こういうことを文字に残すということ自体,現場感覚を失っている証拠なのかもしれない。
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