次世代教員養成プログラムでヒドゥンカリキュラムを高校生に考えてもらいました
- あべたか

- 1 日前
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高校生に「大学の授業」を体験してもらう90分
2026年3月14日(土)、上越教育大学で実施している新潟次世代教員養成プログラムの一環として、高校生向けの授業を行いました。教員を志す高校生たちに、大学の授業を想定した90分間の体験をしてもらうものです。私が担当するのは学級経営の枠で、今回は隠れたカリキュラム(ヒドゥンカリキュラム)をテーマに、演習を4つ組み込んで考えてもらう流れにしました。
教員に興味・関心のある人たちが集まっているからこそ、学校教育や教室空間、あるいは先生としてどう考えるか・振る舞うかといった、少し踏み込んだ内容を取り上げることができました。最初から最後まで身を乗り出すように授業に取り組んでくれていたのが、とても印象的でした。
ヒドゥンカリキュラムは、教室だけでなく日常にもある
ヒドゥンカリキュラムと聞くと、教師や教室空間の中での「自分でも気づかない振る舞い」と想像しがちです。でも、これは日常生活にも一般化できる考え方です。
自分から与える側:自分が何も考えずに過ごしている言動が、周りに影響を与えている可能性がある
受け取る側:教室空間から知らず知らずのうちに感じている同調性などが、隠れたカリキュラムとして伝わってくる
高校生のうちに、それを意識して生活することを考える機会があるのは、とても意味があることではないかと思っています。
対話の創発——「話がまとまったと思ったところ」から
ペアやグループワークでは、最初は自然に会話が進みます。ただ、ある程度の話がまとまると、なんとなく収束してしまうところもありました。
そこで、「ここからいかに踏ん張っていろいろ会話を紡ぎ出していくか」に、創発や想像、イノベーティブな部分が出てくるよというメッセージを伝えました。頭の中にあるものをぽっと出しただけで満足するのではなく、頭の中のものがなくなったと思ったところから、思いもよらない感覚や言葉が出てくる——そこに自分が気づいていなかった何かをつかめる。それが対話の面白いところです。

自分事として学ぶ——「先生になってから」ではもったいない
授業の最後には、自分の教室空間で「今、当たり前に感じていること」を書き出してもらい、それを「今より良いものと感じているか」「ちょっとモヤモヤとした違和感があるか」でチェックしてもらいました。その後、隣の人とその理由を話し合ってもらう流れを組みました。
こういう学びをするとき、他者事ではなく自分事として捉えることが大切だと思います。「先生になってから考えよう」「先生になるまでは一定の知識でいいや」と思うのではなく、今日学んだことを自分の高校生活——教室空間だけでなく、サークルや部活動、趣味、友達関係——にも当てはめて考えてもらえれば、いろいろ役立つのではないかと思います。
上越教育大学の学級経営へのこだわり
最後に、本学の広報誌「JUEN」の最新号を参加者に見てもらいました。ちょうど赤坂先生・蜂須賀先生・私の3人で担当している「学級経営の理論と実践」の授業紹介が掲載されていたので、学級経営の大切さを改めて伝えました。上越教育大学では、他の教員養成大学以上に学級経営を重視し、学部のときから授業として学べる仕組みになっていることもお伝えしました。学級経営の大切さを少しでも感じてくれたなら、ぜひ本学でより深い学びをしてほしい——そんなメッセージで授業を締めくくりました。
グループワークで使った資料を一生懸命写真に収めて帰っていく姿を見ると、学ぶ意欲の強い人たちの時間を共有できて良かったなと感じました。
おわりに
2025年度は、この授業を含めて2回ほど高校生に向けて授業をする機会をいただきました。どちらも自ら進んで参加してくれた人たちなので、授業がとても進めやすかったです。私自身、非日常的な空間で関わらなくてはならない場面では、かなり緊張するタイプで、今回も昨年に続いて2回目の担当とはいえ、進め方についてあれこれ考えながら臨んでいました。
少しでも今回の高校生の心に響くものがあったら嬉しいです。私の授業を聞いてくれて、ありがとうございました。
参照・関連リンク
新潟次世代教員養成プログラム:学校教育学部 | 上越教育大学
広報誌「JUEN上越教育大学学園だより第55号」(p6を参照):juen.ac.jp/010pickup/2025/files/juen55_web_ph.pdf
ヒドゥンカリキュラムの解説(中原淳研究室):無意識かつ暗黙のうちに伝えてしまう「何か」 : ヒドゥンカリキュラム | 立教大学 経営学部 中原淳研究室



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