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執筆者の写真あべたか

初のMISIAライブ体験を通して自分自身に思ったこと


2023年12月16日(土),仙台のセキスイハイムアリーナで開催した「MISIA 星空のライブⅫ」に妻と行ってきました。

MISIAのライヴは初めてです。


圧倒されました。

容姿や語りやその他ではなく,「歌」でわたしたちに訴えてくるものがあるのがさすがです。

(もちろん,用紙もMISIA独特のものがあるし,語りもすてきでしたし,もしかしたらこちらを求めていらっしゃるファンもいるかもしれませんが……ですけど)


あんな小さな体からどうしてあんな声が出せるのだろう。

喉が,肺が,腹が,腹筋が……どうなっているのだろう。

しかも,この調子で2日連続でライヴなんてやって,翌日はちゃんと声が出るのだろうか……。

なんだか,MISIAが醸し出すSONGに酔いしれている方々には申し訳ないけれど,とてもとても下世話なことを考えてしまったわたしがいます。


実際に,プロと言われている方々も歳を重ねるごとに,声質も変わっていきどんどん音域等々も変わってくる方だっていることでしょう。特に高音域を出す方にとってはとても敏感なことと予想します。

にもかかわらず,デビュー25周年を迎えるMISIAは今でも健在であり,わたしたちを魅了しました。


わたしもちゃんとしなくちゃ

で,初のMISISAのライヴを通して感じたことは,

「ちゃんとやろう!」

でした。


1曲1曲,全身全霊をかけて歌いかけるMISIAにやられまくったわたしは,

「24時間,全身全霊をかけることはできないけれど,自分が選んだ仕事にはしっかり取り組もう」

と思いました。


「え?ちゃんと仕事やってなかったの?」

と言われそうですけど,そうじゃなくて(苦笑),なんというのでしょう……。

わたしって,エヘラエヘラしてるじゃないですか(笑)。ペコペコしてますよね(笑)。

(わたしに実際会った人しかわからないでしょうけど)

うまくいえないんですけど,胸張って「ちゃんとやろう!」です。

伝わる人に伝わればいいです(笑)。

(言語化するのが難しいので,あやふやで終わっておきます)


わたしのMISIAの思い出

これを読んでも「だから?」と言われると思いますが,書きたいので,わたしとMISIAの出会いを書いておきます。強く未だに頭に残っている記憶なので。


わたしとMISIAの出会いは,MISIAのデビュー曲「つつみ込むように」(1998年,平成10年)です。

平成元年に教員になり,社会人10年目のわたしでしたが,大学から始めた演劇も続けて行っていました。大学時代の仲間たちと社会人劇団を立ち上げていたのです。

劇団「ワンダフルライフ」という名称でした。

わたしは夏休み期間に入ると基本,小学校教員の自分を忘れて演劇人になります。

毎日練習を重ねて,夏休みのお割近くの土曜日か日曜日に公演をうつということを行っていました。


その劇団のメンバーに,わたしの中で音楽といえばこの人!という先輩がいて,

「MISIAって知ってる?ソウルフルで,声にもパワーがあって,とてもいい!絶対に来る!」

って教えてくれてMISIAと出会った……。


です。

私たち劇団は,(結局は自分たちだけの独りよがりや,自己満足の部分が多いと思いますし,いわゆる,アンダーグランドから世に出ていこうとする集団に多いと思うのですが)自分たちなりの表現にこだわっていると思っていて,舞台上で使う音楽も自分たちだからこそのかっこよさ(それが,結果的に自分たちだけしか思っていなかったとしても)にこだわってて,日頃から自分が気になった音楽の話題を交流していたのでした。


なんか,別にわたしたちがMISIAを見出したわけでも,育てたわけでもないし,このときから熱狂なMISIAファンになって全国ツアーを追いかけたり,曲をすべて購入したりしているというわけでもないのですが……苦笑。

MISIAというと,わたしの脳裏にいつもこの場面が思い浮かべます。

なんか,電車のボックス席に乗ってて,イヤホンでMISIAの曲を聴いているというイメージなんだよね。


で,それが1998年(平成10年)で,それが25年前なのかぁ……って感じ。

そうそう。劇団「ワンダフルライフ」はこの時の公演(演題「ミレニアム」)を最後が最後になるのでした(以後,わたしは,演劇よりも全国各地の教育イベントへ参加することが主になっていくわけです)。


これを読んでいるみなさんにはどうってことない話。

ここまで読んでくださった皆さん,ごめんなさい。

そして,ありがとう。




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