(左→修了生からいただいたボトル 右→ゼミ生からいただいたカップ)
修了,おめでとう!
本日(2024/03/19),学位記授与式。本学,修了の日である。
うちのゼミ生も4人が旅立った。
例年,この時になると,たいしたことしていないのに(仕事だからしたことなのに),なんだか感謝されてしまい,申し訳ないなぁと思ってしまう。
特に,うちのゼミ(阿部研究室)で過ごす2年ないし3年間はそんな感じ(たいしたことのない日々)なのじゃなかろうか。ゼミの運営等々には,わたしは基本的に口出ししないので,その時々のゼミの構成員により,動的だったり静的だったり,結びつきが強かったり弱かったり,明るかったり静かだったり,冗談の飛ばし合いで笑ってばかりいたりそうしなかったり,イベントをたくさんしたりしなかったり,カラオケを歌いまくったり行かなかったり,飲みまくったりいかなかったり……,まぁいろいろ。
ただ,口は出さないまでも,阿部ゼミ(阿部研究室)と名づいているために,わたしの存在そのものが全体の空気感を形作ってしまっているとは思う。
例えば,強固なつながりはない。自分から働きかけないと何も響かない感じがする。主体性に任されているような気もするが,放り投げられているような気分にもなる……。1年間において,特に変わった波がなく淡々と過ぎていく感じになる……。
それがいいのか悪いのか。
私自身のこともちゃんと見つめていきたいと思う。
修了生の言葉から
今年の修了生の一人がゼミ内の修了の挨拶で次のようなことを話していた(ちょっと意訳しています)。
「2年間,ここに来て100%満足かと言うとそんな事は言えない。辛いことも多々あった。やめようかと思ったときさえあった。ただ,これから,仕事を進めていく中で,ここにきて良かったと言えるようにしたい。」
学校支援プロジェクト等,元気いっぱいに積極的に取り組んでいた学生だ。
自分の考えをもとにどんどん積極的に進めているなぁと思っていたところ,実は悩みもいろいろと抱えていたことがわかった。
そのあたりのフォローができなかった私自身の至らなさを感じた。
しかし,この学生はこれらのことも含めて,人生の糧にして前に進もうとしている。
そのポジティブさをうまく発揮してほしいし,弱みもちゃんと周囲に出して頼ることもしていってほしいと思う。
援助要求スキルは,現在とても大切なスキルの一つだ。
また,他の修了生が次のようなことを言っていた。
「ゼミは週に1回程度で,この時間の学びも確かにあったが,それ以上に,研究室(ゼミ室)でやり取りする研究の話や悩みに得るところがたくさん合った。ぜひとも,そういう時間を大切に過ごしてほしい。」
大学院での学びの本質を語ってくれたように思う。興味関心は違えども,少なくとも町中を歩いている人たちよりは,話題が重なるわけだ。そんな貴重な学び仲間を得て,ああでもないこうでもないと話せる時間を持つことができたら,これぞかけがえの無い何事にも代えがたい有用な時間になるだろう。
そして,他の修了生はこうも語っていた。
「とにかく健康第一です。健康なくしては,やりたいこと何もできません。」
たしかにそうだ。わたしもここ最近,ベストな体調と言えないでいる(花粉症が大きな原因かな)。食生活,時間管理等,ちゃんとしてやりたいことがやれる体調を維持したい。
こう語った修了生もいた。
「自分が研究したいことを協同的にサポートしてくれて助かった。阿部ゼミでやりたいことをやりたいようにできた。みなさんも今後,ゼミ生同士サポートし合いながらぜひ有意義な時間を過ごしてほしい。」
なんだか,とっても素敵なメッセージだ。
ありがたい。
はなむけの言葉
わたしからは例年通りのお決まりの餞の言葉を投げかけた。
「自分の人生の主人公は,自分です。だから,自分で自分のやりたいこと,やるべきことを選択して,他人のせいにすることなく,満足できる人生を歩んでいってください。」
人生は選択の連続だ。
だから,もし望まない結果を得てしまったら,あのときあちらを選んでいたら……ということを考えてしまうこともあるかもしれない。その時,「◯◯に言われて,仕方なく選んだがゆえに……」ということになってしまうと,選択の結果を他者のせいにすることになってしまう。もし,他者のアドバイスを得た上で自分が選び,あまり良い結果を得られなかったとしても最終的に選んだ主体は自分である。そのようになるように,するようにして人生を進めていきたい,進めていってほしい。
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