
授業を考える際,どの教材を準備して,その教材をどのように解釈し,その教材を学習者に提示するかという「学習内容」から探る授業観もあるだろうし,学習者をどのように考えて進めるかという授業観もあるだろう。
もちろん,その部分も頭に置くのだが,わたしは「授業プロセス」が自分が授業を考える時に大きな面積を占める。
まず,授業というものを本格的に考えたことがない人は「どんな内容を扱うか」というところでいろいろと考えることだろう。
「何を扱う」と決めたところで,考えたところで,「授業準備は終わり」としてしまう人さえいるかもしれない。
授業は「伝達」でも「提示」や「提供」でもない。
その場にいる人達との間で生じる「相互作用」である。
授業はここからだ。(別に授業を考えるのに,内容が先ということはないから,方法から考えたっていいのだけれど)
さてどうやって進める?
ずっと内容について話し続ける
内容について次々に問いを投げかける
一つ二つ,問いを考えて投げかけた後,学習者(子どもたち)に話し合ってもらう……。
どのように話し合ってもらう?
近くの人と話し合ってねという
こちらで話し合う人を決める
ずっと同じ人と話し合いを続けるようにする
毎回異なる人と話し合うようにする
男女を意識して区別する(それとも区別しない)
それぞれ話し合う人数を決める
別に人数は決めない(2人であっても,3,4人であっても構わない)
話し合うときは席を離れても構わない,離れないようにと指示する,ぜひ離れるようにと言う
グループで話し合うとき
じゃあ,グループで話し合ってとだけ言う
一人○分ずつ意見を言ってという
役割を分担するように伝える
こちらから役割を伝える
全体で意見を集約するとき
1人ずつ全員に指名する
班の代表を指名する
班の代表を指名するが授業者のその日の気分で指名する人を決める
班の代表者を指名するがくじで発表者を指名する
なんとなく誰かを指名する
全体での意見集約はしない
……。
まぁ,もっともっといろいろとある。
で,これらを意識している場合も意識していない場合も,一つ一つがその人の「授業観」に結びついている(と思う)。
わたしは,メモしながら,
「そっかそっか。そうするかぁ……。なるほど。それって,どういうことからそうしているのだろうか……」
と考える。
ちなみに,
「○○の部分(その部分)に関しては,何も考えずにそのように振る舞っていましたぁ!」
というのも,やっぱりその人のれっきとした授業観の一部だと思う。
「そこに関しては気にしない,こだわらない,どうでもいいと思っている」という授業観なのだから。
で,最近のわたしは,それら一つ一つの良し悪しではなく,授業者はどうしてそのように「振る舞ったのか(そこに良し悪しは発生しない)」というところに視点がいく。なぜなのか気になる。
意識して振る舞ったところ,自分がそうしていると知らずに振る舞っていっところ,そういう一つ一つを授業者と語り合ってみたいなぁ〜。
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