月曜日(2023/02/20)は,1日中,いくつかの組織や団体の庶務的な仕事に没頭していました。
あと数年で60歳だというのに,どの組織にいても,どの団体にいても,いつまでもいつまでも「庶務的な仕事」をする位置に居続けています。
ここから,いろんなことを思うわぁ……。
自分には庶務的な位置づけが適しているのかな……とか
なんだかんだいって好きなんじゃないか,庶務が……とか
ちゃんと仕事を引き継げる環境を構築できていないダメダメな自分……とか
なんでもかんでも自分がやりたがりなんじゃないか……とか
公的にはちゃんと庶務的な振る舞いできるのに私生活ではボロボロだよね自分……とか
そもそも,わたしがはっきりとした「庶務的なデビュー」を飾ったのが,上の写真にあるとおり,2005年の授業づくりネットワーク集会でした。
正式名は,
授業づくりネットワーク2005in福島〜授業成立の基礎技術〜
です。
「授業づくりネットワーク」では,毎年夏に,全国規模の大規模集会を行っていて,年ごとに全国の地方都市で行う形でした。2005年は福島で開催しようということになって,もちろん,すでに「授業づくりネットワーク」事務局の一員だったわたしが実行委員長として準備するということになったのです。
とはいっても,当時,自分のサークル等ももたなかったわたしは,民間のセミナーや研修会に参加はしたことあるものの,自分が運営側にたったことは一度もありませんでした。200人規模の集会開催なんて無理です。
だって,自分が住む福島に一緒に活動してくれる仲間が皆無だったんですから……。
そんなオロオロする私に,救いの手を差し伸べてくれたのが石川晋さんでした。
当時,石川さんは北海道内で頻繁に集会,セミナーを開催していて「集会,セミナー開催マニュアルのような本を書けと言われれば書ける……でも,需要がないから出せないと思うけど(笑)」と言うほど,集会,セミナー運営に自信をもたれていました。
もう,すがりました。
石川さんは
「阿部さんは,福島の会場等々を押さえてくれるだけでいいから。あとは,北海道組を連れてきてなんとかする」
と言ってくれました。
その後はびっくりする展開が繰り広げられました。
北海道から,藤原友和さん,山寺潤さん,平山雅一さん……といった方々がどっと福島会場にやってきて,もうテキパキに仕事をしていきます。
なんじゃこりゃ〜!!
の世界です(笑)。
そして,わたしは本当に会場管理だけを行い,2日間が過ぎました。
ちなみに,全体会,分科会と様々あったこの大会でしたが,
1日目の全体会講師は,西川純先生。
これから勢いよく『学び合い』が広がっていく……という黎明期にわが「授業づくりネットワーク」がお招きしました。このとき,西川先生はOHPを使って資料提示して講演をすすめていましたね。
2日目の全体会講師は,野口芳宏先生。
もちろん,模擬授業を絡めての講演,シンポジウムがありました。
ととと……話を戻します。
この圧倒的な2日間,夢のような2日間が過ぎて……わたしも,庶務的な活動にどんどん入っていきます。この頃「授業づくりネットワーク」は毎年春は,成蹊大学さんをお借りしてやはり200人規模の春集会を行っていたのですが,その事務局として佐内信之さんと共に動きました。
東北青年塾を立ち上げて,定期的に仙台の地で,セミナー,研修会を開催するようになります。同時に,一緒に活動する仲間ができました。今でも繋がり続ける素敵な仲間です。
2008年は,仙台,東北福祉大学で「授業づくりネットワーク2008夏in仙台」を開催します。この時は,全体を処理する係として動き回りました。
それから……なんだかんだいって,ずっとずっと,庶務的なことを続けて今に至ります。
最初に戻ると……
たぶん,庶務的な活動は嫌いじゃないんだと思います。
自分が講演講座の講師として,みなさんにつまらない話をだらだらと提供するよりはずっと似合っているのだろうなと。
でも,この歳までそれをし続けるのは,自分のため以上に,まわりにあまり良くないかな。
だって,若手が育たないもん。
わたしの周りでわたしの代わりに前に出て進める……って言う方々が出てこないのは,たぶん,わたしに原因があるのでしょう。それをさせない雰囲気とか空気があるのかな。
もちろん,時代が異なるから,運営やら進め方,実態は変化していいのだけど,わたしがたどってきたようなワクワク感を,やりたい,やってもいいい!と思っている若手の方々に提供できないものかなぁと思っています。
最後に2005年の「授業づくりネットワーク2005in福島」の話に戻ります。
片付けも全て終えた時,わたしの記憶ではわたしと当時の代表だった上條晴夫さん(現東北福祉大学)が残りました。
二人対面して,ふと上條さんが右手をちょっとだけ挙げたのですよ。たぶん,髪をかきあげるか何かのしぐさだったと思うのですね。
それをわたしは勘違いして,上條さんが「よくやった」とわたしに手を差し伸べてくれたのだと勘違いしました。
わたしは,両手を差し出して,上條さんの右手をぐっとつかみ,「ありがとうございました,ありがとうございました」と何度も何度もにぎりながら上下にふった記憶があります。
途中,上條さんが困惑したような表情を見せたので,内心「あれ,上條さんわたしに手を差し伸べたんじゃないな」と気づいたのですけど,こっ恥ずかしくてそのまま手を振り,見送った記憶があります。(上條さん,覚えていないだろうなあ)
ま,何をいいたいかといいますと,めちゃくちゃ興奮した「あのとき」だったということです。
思えば,あの時から,セミナーや集会の魅力に取りつかれて,今日まできてしまったのかもしれません。
若手にバトンをわたしつつ,若手と共に,(やっぱりおもしろいと感じる)セミナーや集会をつくっていきたいですわ。
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