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執筆者の写真あべたか

学生たちのワクワクするような模擬授業を見ると、どうにかしてこの元気を現場に立つまで保たせてあげたいと思う

「自分の好き、強み、こだわりを元にした学級づくりを意識した模擬授業」3ラウンド目。

学生たちも模擬授業の雰囲気、流れをつかみ、ますますいい感じになってきた。


場作り(フォーメーション)

今年の学生たちは、例年以上に「自分の好き、強み、こだわり」を直視し、創造的な授業を創り出してくれている。

その中で特徴的なのは、「場づくり」だ。

机、いすを大胆に移動して、動きのある模擬授業をつくりだしている。

おもしろいなぁ。


私自身は現場にいる頃、場を動かすのはいいが、最後にはそれを復旧させることが面倒で、基本動かさないで進めることが多かった(頭の中では、動かしたほうが面白くなるだろうなぁと思っていても)。

わたしの個人的な都合はともかく、その場にいる人間にとって、心を大きく揺さぶる(その気にさせる、意欲的にする)のは場づくりである。

これぞ、ファシリテーション技術の一つ、「フォーメーション」である。

今年度はこれを感覚的に行っている学生が多い。


例えば、今回、ゾンビが大好きということで「ゾンビルームへようこそ」というタイトルで、教室内を暗くし、学生たちをゾンビにさせ(ゾンビとして演技してもらい)、懐中電灯1本で教室内を歩いてもらうという模擬授業をした学生がいた(笑)。

この20分、いやぁ、おもしろかった。

最初、今年20歳を迎える(迎えた)学生たちが戸惑い、おそるおそる参加し、最後はゾンビを楽しみ、驚き、驚かせることそのものを楽しんでいく様子。

20分で学生の状態が変わっていく様子が興味深かった。

従業者は、演劇部を体験していたらしく、(心の中ではみんなの反応にビクビクしていたようだが)物おじせず、前向きな言葉掛けでゾンビになること、ゾンビを楽しむことを促していく。

単に、暗くなった教室なのに、そこにどんどんゾンビとして積極的に参加していく学生が増えていく…。

まぁ、学級経営だね。

目の前に、何度か同じメンバーで授業を繰り返してきて、心理的安全性ができあがっていたのだろう。

だからこそ、少しずつ(何の関係もない人間から見たら)とても子どもっぽいシチュエーションに参加できたのだろうと思う。

これって、同時進行の関係にあって、心理的安全性が確保できたからゾンビルーム実践ができたのではなくて、ゾンビルーム実践を試みようとしたから心理的安全性が確保できたとも言える。

それを促そうとした従業者の存在は大きい。


「素材」「教材」「活動」を自分の頭で絞り出す

「自分の好き、強み、こだわり」を共有する授業を展開するには、いわば共有する「素材」「教材」「活動」が必要になる。ここをどのように見つけてセッティングするかがこの模擬授業の一つのポイントでもある。

この授業にそんなに力を入れていない学生は、周囲にある何かをそのまま持ってきてそのまま当てはめようとする。

わたしの提案に本気で付き合おうとする学生は、自分の頭の中や経験から搾り出そうとする。今年度は今のところ、搾り出そうとしてくる学生が多い。

例えば、今回、「自分は人にとても影響を受けやすく、流されやすい」と自覚している学生が、それを授業の上に乗せようと考えてきた。おもしろいのは、この「影響を受けやすい」というのを、マイナスではなくプラスに捉えていることである。友達といろいろと対話を重ね、授業の進め方を考えていく中で、グループで未知の生物を描くことを目標とし、一筆描くごとに書き手を交換していくというアクティビティを考えてきた。「○○を描こう!」というような相談や掛け声は無しである。

制限時間までに、ぐるぐるぐるぐる描き手を交換して未知の生物を描いていく。

その結果、最初からまるでコレを描こうと相談したかのような生物が描かれていく。

その過程は、前の描き手に影響され、次の描き手に絵狂を与えてく…わけだ。

おもしろいなぁと思う。

このアクティビティの進め方を箇条書きして説明すると、たぶん、すでにこのようなアクティビティはどこかに存在するような気がする。

でも、この段階で大切なのは、自分の頭で考えて、周囲の人物と話し合い、アイデアを得て自分が手順化したということである。ここに価値がある。


こういうのを目の当たりにすると、若い学生の柔軟さに驚くと共lに、クリエイティビティだなぁと思う。まぶしい。



しかし…。

教育実習の授業等を参観すると、こういう躍動する学生たちの授業はほぼ見ることはない。とかく、固く生真面目でどうにかして教科書の通りに教えなければ、教えたいという気持ちばかりが先走ったピリピリした授業になる。

現場ではそういう指導観が主流なのだろうし,これから教師になるであろう学生に,スタンダードを身に着けさせてあげたいという親心もあるのだろう……。


とはいえ,「学び」は本来楽しいはずである。

どうも「学ぶ」ことは「苦しい修行」であり,その先に会得できるものと考えている人もまだまだおおいのかなぁと考えることがある。自分たちがそのように教えられてきたということも多分に影響を受けているのかもしれない。身についた「学習」感の存在は大きい。


わたしが副理事長を務める「授業づくりネットワーク」の最近号の特集タイトルは「学校にプレイフルを取り戻す! 」であった。

学校教育の視野を広める活動にも手を貸していきたい。






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