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学生たちに気づいてもらうための「問い」は難しいなぁ


ゼミも少しずつ実践的になり,夏休み明けから本格的に入る「学校支援フィールドワーク」でチャレンジしてみたい「学級づくり実践」「授業づくり実践」をゼミ内でチャレンジしてみる……という機会が増えています。


まずもってうれしいのは,わたしが促したからではなく,学生自身が持ってきていることです。これって,とっても主体的。


で,ここからが難しい。


つまりどうやって練り上げていくか……。

先につなげるか……。

ということ。


現場経験のない学卒院生だけで進めているために,「教室」のリアルがいまいちつかめない(アドバイスするわたしでさえ,現場を離れて数年経ってしまっている……)。そんな中,「自分たちで主体的に取り組んだから素晴らしい」と内容がどんなだとしてもオールOKしてしまったのでは,何の学びもない。


とはいっても,「ちょっと気になるなぁ」という部分をそのままストレートに指摘したのでは,せっかくのやる気が削がれる。わたしたちもあのように指摘されるかも……と他に続く学生もいなくなるかもしれない。


そもそも,私自身がそういったマイナスな指摘を直接に受けることが嫌で嫌で仕方なかった。自分には自分なりの考えや意思があるんだからそれをまずは聞いてくださいよ〜と思っていた。


寄り添い,ファシリタティブになるのであれば「問い」で対話したい

であるのなら,「問い」だろう。

「これは,こうすべきだ」「これは,こうしなければならない」「これは,こうしたほうがよいと思う」

いくら善意で言ったとしても,親身になって言ったとしても,いずれも「こちらがわの視点」からの言葉である。

主体である「学生」に受け取る準備,受け付ける準備がないかもしれない。

主体である「学生」に自身で考えてもらうためには「問い」の形にするとよい。


「尋問」ではなく「問い」を

しかし,「問い」という形をとっても,「こちらがわの視点」を押し付ける「問い」の形にすることができる。

そう。尋問である。

これではいけない。

主体者に考えてもらうような「問い」にしなければ。

実は,このように書いているのは,わたし自身「問い」が苦手だからだ。

今回も,うまく「問い」という形で学生たちに返すことができなかった。

わたしに与えられた時間が短かったからという言い訳はできる。

でも,だったら,ずっと考え続けたくなる,または,その学生の心の奥に残り続ける「問い」を一つだけ投げかける……ということだけでいいからできなかったのか?と自分に問いたい。


「問い」ということよりも,「自分が考えたこと」「自分が感じたこと」「自分が経験したこと」を「押し付けたい」「与えたい」という気持ちが強いのだろうと思う。

大きな反省だ。


今回だったら,どんな問がよかったのだろう……今更ながらに,自分に問うてみる。今後の「問いづくり」の練習に,その時は言えなかったけれどこう言えばよかったかなという「問い」を考えてみたい。

  • 何を意識して進行しましたか。

  • 意識したとおりに進んだかい?

  • そのとおりに進まなかったところはどこ?

  • 自分の意識とズレたところはどこ?

  • うまく行き過ぎたなぁと感じたところはある?

  • これを実際,子どもたちに行うとして心配なところはある?

  • それはどうして?

  • 逆に楽しみなところってどこ?

  • 今日の様子を見てみて,うまく進行しそうに感じましたか?

  • 最初の説明(インストラクション)で最も気をつけたところは?

  • その時の学習者の反応はどのように受け止めた?

  • みんなの活動をしている間,どこに意識を向けていましたか?

  • それはどうしてだろう。

  • 自分の思っていた通りの動きだった?

まだまだ,ファシリテーター修行中である。




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