先週,現職院生から20分の模擬授業を体験した学部3年生達。
今週は,この模擬授業映像を用いて,「ストップモーション方式の授業検討会」を進めた。
ルールは簡単である。
授業映像を見る。
参観者は気になったところで「ストップ」をかける。
映像を一時停止する。
「ストップ」をかけた人間が,気になった理由を語る。
この語りを聞いて,続けて発言したい者が発言を引き継ぎ,自分の考えを語る。
5を繰り返す。
発言をする者がいなくなったら,映像の再生を行う。
2〜7を繰り返す。
終了時間が来たら,もしくは,授業映像が終了したら終わる。
わたしが感じるメリットは大きく2つ。
1つは,「映像」という目の前で全員が可視化していること,つまり,共有化しているものを利用して,授業技術や考え方について話し合うことができることである。
話をしていく中で,空中線になったり,抽象的になったりする可能性はあるが,少なくとも話の出発点は目の前の具体的な「それ」なので,そこから語り始めることができるし,混乱したら,そこに戻って話し始めることができる。
2つは,そこにいる参加者(今回で言えば,学習者)の価値観で(または目線で),授業を見ていくこと,語ることができることである。
「ストップ」をかけるのも,「ストップ」をかけて語った内容に,語りを繰り返すのもそこにいる参加者次第。わたしは,「発言」があった後に,整理整頓してファシリテートすることはあるがわたしが映像を止めてコントロールすることは一切しない。
学生たちにルールを語った後,次のように話す。
「例えば,映像開始,1分後の何かに気になってストップをかけて,その話を大いに盛り上がり,最終的に5,6分くらいしか映像が進まないときもあれば,誰もストップをかけずに映像が流れて最後まで映像が進んでしまい,単なる映像試聴会のようになってしまう場合があります。どちらにしても,みなさんの態度次第です。ただし,わたしの経験上,みなさんの先輩は,活発な意見交換で,全然映像が進まないで終わったときが多かったですけどね」
ちょっとした,しかけだ。
デメリットというか,この時間の失敗の形としては,いわずもがな,誰も何も意見を言わずに延々と映像が流れ続ける……ということになる。
もし,そうなったとしても,最初の説明(インストラクション)の通りにするつもりであった。言っておきながら,そうしなかったらおかしい。その場合,今年の目の前の学生集団はそういう学生がそろっているということで受け止めようと考えた。
果たして結果は……。
さすが,本学の3年生。
話が盛り上がり,授業技術,授業観,を共に交換し合う形になり,なるほど〜と大いに盛り上がった。
例えば,
教科書の挿絵が気になって,ちょっとふざけたつぶやきがあったとき教師はいかに反応するのか,しないのか。
途中,遅れて教室に入ってきたときの子どもたちの対応をどのようにするか
基本,プロジェクターに照射して授業を進めていたのに,1箇所だけ印刷物を配布して,各自に読んでもらった場面があった。その意図はなにか。
印刷物はなぜか1人に1つではなく,(教室にいる人数よりも少ない枚数を印刷してきて)2,3人で共有して読むようになっていた。その意図は何か。
ペア学習になったとき,教師は黒板の前にいて動こうとしなかった。これは,いつものことか,このときだけか。どういうとき机間巡視(指導)をするのだろうか。もし,机間巡視をするとしたら,どのようなことを見るか,語るか,問いかけるか。
これは,映像の場面でストップをかけた学生の一例だが,このストップの意見をもとに,後から後から意見がつながる。
学生の学習意欲のシャワーを浴びて,いっきにわたし自身のやる気も向上したのでした。
さすが,本学の学生です。
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