わからせるための「活動」感じること,考えることを促す「活動」


模擬授業を見学していて,自分の中で位置づけている活動中心の授業とは異なるなぁと違和感を感じた授業があった。

ちなみに,この模擬授業に関しては,私の方から「協働的な活動場面を必ず取り入れること」という条件を授業者に伝えているだけなので,わたしが考える活動中心の授業である必要はない。授業中に一部「協働的な活動場面」が入っていればいいだけである。だから,授業者には何らの落ち度はない。


違和感を言語化しようと思った時に頭に思い浮かんだのが,上條晴夫先生(東北福祉大学)が整理して提示した「説明中心の授業,発問中心の授業,活動中心の授業」の図である。


上図がそうである(上條晴夫(編):教科横断的な資質・能力を育てるアクティブ・ラーニング 小学校 主体的・協働的に学ぶ授業プラン,p8,図書文化,2015)。


わたしが見た模擬授業は,授業者の考えるゴールに効率的に効果的に学習者にたどり着かせるために「活動」を用いていたのである。いわば,上の図で言えば,「発問」の代わりに「活動」を取り入れていたという形になるだろうか。

上図は「上條晴夫・江間史明編著:ワークショップ型授業で社会科が変わる<小学校>,p10,図書文化,2005」でのものである。

この図を上條先生は以下のように説明している。

説明中心の授業や発問中心の授業では教師が話題や発問によって学習者の考えを導いていく。そのために効率よく学ぶことができるが,学習者の考える範囲(楕円)は小さくなるこれに比して活動中心の授業では,学習者は最初に大きな「円」(活動・考える範囲)を指定される。この範囲であれば,自由に試行錯誤をすることができるのである。説明中心の授業や発問中心の授業と比べると,学習内容の伝達効率は下がるが,思考の幅は広がる。腑に落ちる度合いは増す。

この図だとより,わかりやすい。

わたしが何気なく口にする「活動を取り入れた授業」とは,自分の頭の中では上の図で言う「活動中心の授業」のことを考えているわけだ。

しかし,今回わたしが見た模擬授業は,上の図でいうと「発問中心の授業」の構図の中,ここの「発問」の部分に「活動」を組み入れたものなのである。学習者に導きたい結論(与えたい結論)のために,「活動」を用いたといってよいと考える。

いわば,「(指導者がねらっている目的を)わからせたいため活動」である。


「(指導者がねらっている目的を)わからせたいため活動」であるかどうかの見極め方はそれなりに簡単だ。

  • 上の図の「発問中心の授業」の構図に「活動」が組み込まれるため,活動時間が比較的短くなる。

  • 活動の前後に「活動」に関する比較的長めの「説得調の解説」が入る。この活動を通して学習者を自分が考える結論へ導きたいからである。


……と,ここまで書いて,ふと考えた。

わたしが普段展開している,講座,講演,セミナーは基本的に「活動」を取り入れて行っているが,それらはすべて「(指導者がねらっている目的を)わからせたいため活動」ではないのかと。


うーん,どうかなぁ。

講座,講演,セミナー等は,わたしは情報提供が基本で,その内容を少しでも抽象的なものから具体的なもの,手応えあるものとして理解してほしくて,「活動」を取り入れることが多い。

この「活動」の意味は,参加者に「感じてほしい」「考えてほしい」というところからだ。

その後の解釈や理解はすべて参加者に任せている。


今回は,「活動」もその背景(目的や手段)によって,その扱い方が異なるし,第三者から見ればその意図もわかるということを記しておきたい。




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